慶応大学文学部の大学受験では、試験方式によっては英語の辞書の持ち込みが可能である。だからといって単語をろくに覚えていなければ、辞書を一行で何度も引かなければいけなくなって、時間がいくらあっても足りない。試験にはもちろん制限時間があるので、散々な点を取ることだろう。しかし、単語を十分記憶している人間にとっては、知らない単語が二つか三つであれば、辞書が持ち込み可になることで、九〇点のところが満点になるかもしれない。かくして、情報へのアクセスがよくなると、できる人とできない人の差がよけいについてしまうのだ。そこで、高度情報化社会に対する過度な期待への反省から生まれた言葉が、知識社会という言葉なのだと私は理解している。この知識社会という言葉は、たとえば一九九九年、ドイツのケルンで行われたG8主要八ヵ国首脳会議、いわゆるケルンサミットにおいても「ケルン憲章―生涯学習の目的と希望」の中に盛り込まれた。すなわち、教育と生涯学習は、伝統的な工業化社会から顕在化しつつある知識社会への変容の中での柔軟性と、変化に適応するために必要な「流動性へのパスポート」を個々人に付与するものと宣言されたのである。このような形で、国際的にも知識の重要性が強調されている。要するに情報にアクセスできるだけでなく、頭の中に知識として溜め込んでおけないといけない、つまり記憶力を鍛える必要があることが国際的にも確認されているのである。